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行進の開始にあたって(2013年)

南無妙法蓮華経

 

日蓮大聖人の御一生は、立正安国(正しい仏法を立て、国を安んずる)に始まり、立正安国に終わると云われております。当時、鎌倉を中心とする関東一円にしきりに天変地夭(天空に起こる暴風、日食、月食、雷等と地上に起きる地震等の災害)が起こりました。これらの天変地夭により、万民が苦悩に沈まねばならぬ根源はどこにあるのか。

 

この大地震に暗示せられた将来の日本国に災難が襲うのか、襲わないのか。襲うとするなら、将に来たらんとする国難は、どうしたら防げるのか。日蓮大聖人はこの解決のために、日本国に伝わった一切経を、前後四ヵ年間、研究されました。

 

その結果判明したことは、天地にこんな大災害が起こると、やがて国家に大きな災難がやって来る。その一つは、国民同士でいがみ合い、血を流す内乱となり、もう一つは、外国との戦争で国が危なくなると、お釈迦様が断言してることが分かりました。

 

夫れ天地は国の明鏡なり。
今この国に天変地夭あり、知るべし国主に失ありと云うことを。
鏡に浮かべたれば、之を争うべからず。国主に小禍のある時は、天鏡に小災見ゆ。
今の大災は、当に知るべし、国主に大禍ありと云うことを。
此の経を仁王経と名づけ、又、天地鏡と名づく。
此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり。

 

と日蓮大聖人は仰せられました。

 

聖者の予言と云うものは、時間 空間の間隔を越えて種々の因果の真実の姿を歴然と支持し給う。『立正安国論』は、当時の国難の予言書であるだけでなく、末法万年の後までも、常に新たなる国難の予言書であります。

 

こう申せば、そんなものは科学の検証を経ない迷信だと笑うのであります。けれども、事実は遠慮なく押し寄せて、笑う科学をひっくり返してしまいます。例をあげて見ましょう。

 

日蓮大聖人の時の大地震と、恩師藤井日達聖人、すなわち、御師匠様の時の関東大震災を比較してみます。日蓮大聖人の時の大地震(1257年・正嘉元年、鎌倉に起こった未曾有の大地震)の後、『立正安国論』を鎌倉幕府に提出して、九年目に、蒙古の使いが来ました。十四年目に、京都で北条時宗の兄、時輔の反乱が起こりました。最後の「弘安の役」(二度目の蒙古襲来)は二十三年目の年でありました。

 

では御師匠様(藤井日達聖人)の時はどうでしょう。ソ連の共産革命を折伏しようと満州ハルピンまで来られた時に、関東大震災(大正12年相模湾を震源とする史上最大級の大地震)の知らせが届きました。『立正安国論』の予言道りになると驚いた御師匠様は、ただちに日本に帰られました。国土の中心は富士山、民族の中心は皇室だとの信念のもと、お弟子を引き連れてご祈念をしました。警察の干渉により、幾度か牢獄の人となりました。

 

昭和四年には、東京白木屋前の辻説法となり、日本の亡国を予言され、必死のご祈念を続けられました。関東大震災から九年目に満州事変が起こりました。十三年目に、二・二六事件、そして二十四年目に敗戦となりました。七百年の歳月を隔てて、符節を合わせたようであります。

 

しからば今回の東日本大震災は何を告げているでしょうか。おまけに原発震災を惹き起こし、放射能を世界中にまき散らしました。この放射能はまだ終息してません。七百年前の大地震、そして関東大震災が、『立正安国論』が符号する時、この大地震が符号しないはずがありません。

 

当に起こらんとする日本国の危険を未然に防ぐ道、それはただ「南無妙法蓮華経」と唱えることだけであります。

 

合掌

 

(酒迎天信御上人様御法話より抜粋)

 

そう信じて我が命の有る限りは、祈り祈って、唱え唱えてまいりましょう。 

 

 

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